2006年11月19日

たまには全くもって知らない事とかも

友人がローンを組んでプラズマテレビを買ったようです。普通のテレビとどう違うんでしょうか。というか、価格は、画面が大きくなればなるほど安いとかわけのわかんない物ですよね、プラズマテレビ。うちと大差ない広さのアイツの部屋に、そんな大画面が置かれるとどうなるのか…というかまず車買えよ。というわけでこんばんは。

さて、今日は自分でふと気になったことでも書こうか。格闘ね、格闘。
俺から格闘といえば、格ゲしかないわけですが、実際の格闘となるとあんな技当たってもいたそうにないっていうのばっかりですよね。大体、飛び蹴り打っておいて着地してから即技繋がるとか無理っぽい動きとか。3D格闘もアッパーで人一人あんなに浮くようなパンチ力ならストレート一発で顔面陥没しますってば。いや、まぁ、別にアンチ格ゲってわけじゃないんですけど、実際に考えてみるとそんなもんだよなぁとか。で、実際の格闘で、大体我々が目にしてるのは「見せるための格闘技」ですよね。ルールを決めて、その範囲内で決着をつけるやつ。本当の強い奴をみたいならルールをなくしたらいいのに。まぁそうなったら「格闘」ではなく「殺し合い」なわけで。目潰し不意打ち金的なんでもありだったら、それはもう目も当てられませんて。
しかし、大昔から、騎士道、武士道などしっかり戦いにルールを定めてるあたり、人間の道徳心かなんかなんだろうか。(というか、騎士道も武士道も戦い方のルールってわけではなく、考え方の一種なわけだが。けど、騎士も武士も戦うのが仕事の人たちでしょ?ちなみに中国史を専攻してた友人に言わせると、「騎士道なんて戦争中に妻が不倫しないように、貞操帯つけて塔に閉じ込めてたような奴らの言い分だぜ?やっぱかっこいいのは武士道だって。」だそうな。)そして、殺し合いとは違う方向で、自分の強さを求めるという感情は、やっぱり好奇心の一種なんだろうか。実際生きる強さを求めるのなら殺しの技術になるんだろうけどさ。
今、格闘技と呼ばれるものの中には、昔日本では武道と呼ばれたものもあったそうな。武道とは稽古を通して、身体と心を共に磨き上げるというもので、格闘というものはその武道のほんの一角に過ぎないものだったが、最近は試合というものを中心に稽古に取り組むことが強くなり、競技としての意味合いが強くなってきちゃったとか。

そうなんですよ、どっちが強いとかじゃなくて、自分の心と身体を鍛えることが重要なんですよ。まぁ、確かに負ければ悔しいけれど、その敗北から、何を得るのかが本当の強さなんじゃなかろうかね。そういう精神が失われつつありますよ!と、全く格闘技を知らない俺が偉そうに語っちゃってますが、実際格闘技やってる人たちからの苦情その他は一切受けませんよ!なんなら拳で語り合うかい?ごめんなさい、無理。

関係ないけど、教師もののドラマとかで不良の生徒を叩いて説教するシーンで
「お前は叩かれた頬が痛いのかも知れない。だがな、叩いた先生のこの手と心は、もっと痛いんだぞ!」

いや、叩かれた方が痛いよ絶対。
posted by SHEM at 05:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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